◆ トーク・セッション ◆

 今回お話を伺ったのは、元島民の坂本道徳さんと中野哲夫さんのお二人です。お二人は青春時代を軍艦島ですごされ、端島炭鉱の閉山と共に島を去られました。坂本さんは現在、NPO法人軍艦島を世界遺産にする会の理事長をされていて、軍艦島の保存活動に多忙な毎日をお過ごしです。中野さんは、端島中学校最後の卒業生でもあり、また幼少の頃に坑内事故でお父様を亡くされた経験をお持ちです。現在は東京の新宿ルミネでお仕事をされています。


オープロジェクト(以下オー):それではお二人にお話を伺っていこうと思います。まず始めに、軍艦島の最初の印象を聞かせて頂きたいのですが、小学校の時に筑豊から移り住んでいらっしゃった坂本さんからお願いします

坂本道徳さん(以下坂本):なんでこんな島へ来たんだ!というものですね。
小学校6年の時に家族と一緒に来たんですが、最初に連れて行かれたのは清風荘(島内唯一の旅館)でした。離島してから25年ぶりに島を訪れて、旅館の部屋を見たときに「ああ、この部屋が最初の記憶だ」と思いました。とにかく来たくなかった島、という印象ですね。

オー:来たくなかったというのは・・・?

坂本:筑豊の思い出の方がよかったということです

オー:中野さんは軍艦島でお生まれになったので、一番古い記憶などを聞かせければと思います

中野哲夫さん(以下中野):物心ついたときは、もう学校があって施設があって、というところに住まわされていた、というだけですね。

オー:長崎の街との印象の違いなんかはどうでしょうか?

中野:違う国へ行った気分でした。日本語が通じる外国へ行ったような感覚ですね。

オー:見る風景が違うっていうことでしょうか?

坂本:当時長崎港のあたりはまだバラックが建っていて、それと比べると島の方が立派な印象でした。

オー:島が都会だという感覚はありましたか?

坂本:都会という感覚はなかったですが、高層ビルが沢山あったんで、空が切り取られてる印象ですね。そう言う意味では都会だったのかもしれません。

オー:とすると現在の都会の環境もそれほど違和感がありませんか?

中野:今7階建てに住んでますが、島とかわりませんね。ただ人付き合いは少ないです。

坂本:都会と同じようにラッシュがあります。共同トイレなんで、朝夕はラッシュになるんです。混んでる時は別の階のを使ったりしていました。

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